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2020年6月11日 仏教講座 第68回 WEB聞法会 僧侶名倉幹先生に学ぶ

親鸞聖人の「正信偈」

引用文:赤尾道宗心得二十一箇条

一、後生の一大事 いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事。

一、仏法よりほかに 心にふかく入る事候はば あさましく存じ候て すなわちひるがえすべき事

「仏法には無我と仰せられ候、われと思うことは、いささかもあるまじきことなり。」(蓮如上人御一代記聞書 第81条)

「往生は一人一人のしのぎなり。一人一人に仏法を信じて後生を助かることなり。」(蓮如上人御一代記聞書 第172条)

この蓮如上人の言葉を今様風に和らげていいますと、「往生は」と申されていることは、ここでは「宗教の生活は」ということです。また「後生を助かる」などというと、また「仏教は死んでから先のことを言いよる」と思われる方があるかも知れませんが、それは、「自分は死なない」と思うているから、そういうことがいえるので、道を歩いているときに、こちらは大丈夫のように道を歩いておっても、横道から酒の酔っぱらいの運転する自動車が飛んで来てポンと当たって頭の骨が破れたら、その時死んでいるのです。それで「後生を助かる」とは、「人間の世界ですから、いつ何時そういうことがあるかも知れません。よしそうであっても私はそれで申し分はありません」と心の解決がついていることが、蓮如上人の申される「後生を助かることなり」ということです。別の言葉でいえば、「朝に道を聞いて夕べに死すとも可なり」です。そういう心の解決は、社会関係という枠では決められるものではないので、ひとりびとりのしのぎ(鎬)であると申されるのであります。

 (山口益「現世論と仏教」(文栄堂)所収「宗教と平和」)

普通の生活者であっても、また一事業を興すにしても、失敗の覚悟と死までの覚悟がないならば、苦悩は無くならないのであります。多分何とかなるであろうとぼんやり考えておくものですから、心配が絶えず起こって、真剣味がなく、砂上楼閣のようなものでありまして、生活することに命がかかっておらないのであります。最後に、死まで考える時、自分は死んでゆけるかどうかということが問題となるのであります。信は有力大人なりといわれるが如く、信は力であって、死し得る力であり、死し得る力があってこそ、生き得る力が出てくるのであります。・・・・蜂屋賢喜代「苦の探究」(57、58ページ)

本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就

本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。

等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり

(蜂屋賢喜代「正信偈講話」第2篇第6章「救済の原因と結果」)

◆引き寄せて 結べば草の庵にて 解くれば もとの野原なりけり・・・慈円

https://www.youtube.com/watch?v=MuVy6LC4oFs

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

 

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